DTM・DJ・Bass Musicなどのブログ

もう少し詳しいプロフィール

 
  2018/08/30

1、やりたいことが、なんとなくわかっているが、、、

北海道の上川町で産まれました。

小学生の頃はスケート、陸上、少年野球などスポーツ三昧でした。

それと、ファミコン、プレステなどのゲーム大好き子供でした。

中学2年生頃、兄のパソコンを借りてゲームをしまくって飽きてきた頃、パソコン雑誌の付録のCD-ROMに収録されていた無料のDTMソフトで遊ぶのが好きで、何の知識も無いまま、感覚だけで曲を作って遊んでいました。

高校生の時には正月に年賀状配達のバイトをするなどして、自分のパソコンを買いDTMをするようになりました。

音楽理論など何も知らなかったけど、とにかくたくさんの曲を作りました。

高校卒業後、ギタークラフトの専門学校に行きました。

DTMのクラスが存在していたのにそっちには行きませんでした。

なぜ行かなかったかというと、

音楽では食べていけないと、周りの人から散々聞かされていたので、はなっから音楽的な道は諦めていました。

そして音楽家としては無理な気でいたので、その音楽業界周辺で何かやろうと思いました。

小さい頃からモノ作りが得意ではありました。

なので、手に職をつけるという意味で(親の目線も気にしつつ)ギタークラフトの学校に行きました。

しかし、どうも本気になれず、他人事のようにギター作りを学ぶ日々でした。

卒業後、この専門学校でなぜかギタークラフトではなくアーティストコースのアシスタントとして働くようになりました。

今思うと、ここでDJの先生との出会いがあったのが、今後の人生に大きく影響したように思います。

しかし、当時は悶々とした日々で特に進展も無いまま、なんとなく流れて行く毎日に焦りと不安が増していきました。

2、金がない

アシスタントはアルバイトなので給料が安く、家賃の支払い、奨学金の返済等で苦しくなるのは目に見えていました。

アルバイトが忙しくて音楽活動ができなくなっている友人がいたり、

だったら残業の無い会社に就職して、並行して音楽活動を続ければ良いのでは?

と、思い音楽とは全く関係の無い普通の会社に就職しました。

通勤時間が家から30分位で、残業も少ないという話で、

これなら音楽活動をやっていけると思いました。

この頃、バンド活動をしていたり、遊び程度のDTMをしていました。

このまま続けていければレベルが上がって何かええ感じになるのでは!?

と、甘く見ていました。

3、残業&通勤地獄

入社した頃は小さな会社でしたが、どんどん成長していき、社員の数も増え、会社が引っ越しすることになりました。

2回ほどの引越しを経て、最終的には通勤時間が1時間半掛かるようになってしまいました。

品川駅での乗り換えでは、毎日機嫌が悪そうなサラリーマンがぶつかってきたりと、

スーツ姿の人とすれ違うのに恐怖を感るほどでした。

通勤電車が苦痛すぎてどうにかなりそうでした。

残業も徐々に増え、

ストレスのせいか体調が悪化し、

胃にポリープができ、

胃カメラで取り除くほどでした。

この生活を続けていたらストレスで病気になるか、自殺するかなと思う程やばい思考になりつつあって、早くこの生活から脱出しなくてはと思うようになりました。

しかし、転職しても会社員をやってしまえば同じような状況になりかねない。

音楽制作会社への転職も考えたが音楽制作の職務経験も無く、音大などの学歴も無い。

自分でビジネスを始めるにしても、そんな知識も無いし、貯金も無い、そもそも音楽以外の事で特別詳しい事も無いし途方に暮れていました。

4、メンターとの出会い

会社員としてやっていくのはもう嫌だったし、自分の好きな事を仕事にする事も大変だろうし、

どっちをやるにしても大変そうだと思いました。

でも、どうせだったら自分の好きな事で苦労した方が楽しいだろうと思いました。

そこで、自分が進みたい方向に行くために、興味がある分野について、とことん勉強してみようと思いました。

そこで、音楽を選んだ時、自分が今まで避けていてネックにっていたもの。

【音楽理論】について真正面から勉強してみようと思いました。

そして、作曲家の先生の門下生としてクラシック・和声学・音楽理論・ニ声対位法を学び始めました。

それと並行して、先生の勧めでクラシックピアノを習うようになりました。

次第に音楽的な知識や、今まで全く読めなかった楽譜などを読めるようになり、

音楽に関する書籍など読んで理解できるようになりました。

この頃、貯金も始めました。

5、音楽事務所に曲を応募

超一流の某音楽事務所に曲を応募したところ、そこのエグゼクティブプロデューサーと面談させてもらうことになりました。

いろいろ話を聴いていると、ミキシングやアレンジの面でまだまだだ、といった評価で具体的に仕事に繋がる話にはなりませんでした。

6、ミキシングについて学ぶ

某音楽事務所のエグゼクティブプロデューサーの方から言われた事を素直に受け取り、ミキシングやアレンジの面で問題が有ることがわかったので、ミキシングについて、本で勉強したり、オンラインでミキシングレッスンを受けました。

それから、直接教えてもらえるミキシング講座にも通うようになりミキシングについての知識をさらに習得していきました。それとほぼ同時期に音楽ビジネスの講座にも通い始めました。

7、いつまでも独立するめどが立たない

いつまでも作曲での成果が出せずにいました。

会社の残業も増え、作業や勉強の時間を確保することが難しくなっていきました。

仕事の方で体力を使ってしまい、音楽活動が疎かになりました。

音楽に使う時間の確保が大事だと思うようになってきました。

8、会社を辞めると決断する。

それから、さらに残業時間が増え、会社近くのホテルに泊まることもしばしばでした。

わざわざ残業の少ない会社に就職したつもりだったのにこれではもうダメだと思いました。

貯金がある程度溜まめて会社を辞めると決断しました。

9、思いもよらない給料・ボーナスアップ

退職を決め、退職までの最期の約2年は絶対残業しないで、定時で帰ると決め、がむしゃらに働きました。

自分の仕事が終わったら、他に何か仕事は無いか聞いて回る毎日。

仕事をさっさと終わらせて帰ろうって作戦でやっていました。

そんな事を数ヶ月やっていたら、周りの人も協力してくれるようになり、ほとんど残業しないで済むようになりました。

残業代を貰うことがなくなったので、かなり手取りの給料は減りました。

しかし、驚いた事に、給料はアップするし、ボーナスは今までもらった事ないよう金額を貰うことができ、退職までに貯金が目標金額には達さない計算でしたが、なんと目標金額を達成してしまいました。

会社員として働くには、かなり良い環境が出来上がってしまい、会社を辞める事が惜しいほどでした。

でも、自分の願望を叶えるために、

思い切って退職し、自分の人生を進めていこうと決断しました。

10、現在の状況

音楽面では、だんだん人からいいねと言ってもらえるレベルになり、クオリティーが上がってきました。

謝礼程度の報酬をもらうようになり、

そして、採算の取れるレベルの報酬を貰えるようになりました。

沢山の方々の応援により今の自分がいるなぁ。なんて思えるほどちょっと大人になりました(笑)

11、最後に

受けた依頼は、最高のものを提供し、お客様の願いを叶えるお手伝いをさせてもらう事を念頭に日々活動をしております。

少し、駆け足でしたが自己紹介とさせて頂きました。

何かお役に立つことができればと思っております。

Takuya Sugimoto

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