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スノーボード競技をする最高の環境にいながら活かせなかったこと。

2018/12/14
 
男性がスノーボードをしているところ
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スノーボードとの出会い

ぼくが中学2年生のときに、姉が所属している高校のクロスカントリー部の顧問の先生がアルペンスノーボード界で結構有名な人だと知った。

当時、スノーボードはまだマイナーなスポーツで、テレビとかで少しずつ紹介され始めのころで、人気スポーツになりかけのころ。(1994年頃)

ぼくは、テレビを見てこのスポーツを知った。

今までやってきたスポーツと違って、『横ノリスポーツ』と呼ばれているものに対して、とても興味があったので、

ぼくは姉に頼んで、そのクロスカントリー部の顧問の先生経由でスノーボードを安く譲ってもらうことができないか相談した。

数週間後に、安く手に入ることになり、靴とボード、それと靴とボードを固定するビンディングを入手。

これでスノーボードができる!

冬季オリンピックのイラスト「スノーボード」

今までにやってきたスポーツと勝手が全然違う。立つこともできなかった。

それでも、しばらく続けていくと、立てるようになってきて、少しずつ転ばないで滑れるようになってきた。

次に目指したくなるのが、自由に向きを変えて行きたい方向に進めるようになること。

これもちょっとづつできるようになって、面白くなってきた。

初めての骨折

確か、よく晴れた日曜日のお昼過ぎくらい。

まだ曲がることで精一杯のころ、いつものようにスノーボードの練習して滑っていると、

急に目の前に小さな子がソリに乗って現れて、その子をかわしてからバランスを崩し、転んで手をついてしまった。

手をついたぐらいではケガはしないが、そのときの斜面の状態が問題で、

圧雪されていない斜面の表面2〜3センチだけが硬くなっていて、中はサラサラの雪面になっていた。

そこに手を着いてしまった。それも思いっきり手首が反り返った状態で。

『ポキッ』と鳴った気がした。

関節が鳴っただけかな?と思ったが、めちゃめちゃ痛かった。

それで、その日は家に帰ることにした。

家まで歩いて帰れる距離だが、痛過ぎてボードを担ぐのが大変だった。

でも、なんとか気合いで帰宅。

それから親に相談してみると、病院に行ったほうがいいということになり、

病院で診察してもらい、レントゲンをとってもらった。

手首にヒビが入っていて軽い骨折だった。

ギブス生活になりました。

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人間の適応能力ってすごい!

想像通り、ギブス生活は大変で、しかも利き手が使えなくなったので最初の頃は特に大変。

でも、左手ばかり使っていると、左手で字を書いたり、箸を使うこともできるようになってくる。

人間の適応能力ってすごい!

そして時間の経過とともに回復して完治。

そして、次の冬のシーズン、こりずにまたスノーボードをするのでした。

高校生になりました。

地元の高校に通うことにした。

高1のとき、今までにやったことがなかったソフトテニス部に入部。

中学のときに、卓球部だったこともあり、球技の面白さに惹かれつつあった。

高校2年のときにスノーボード部が発足するかもしれないという話があり、

どうやら、スキー部の中のスノーボード部という位置付けのかたちで発足することになった。

そんなわけでさっそくスキー部に入部。

この高校では、夏の部活と、冬の部活の2つの部に同時に入ることが可能だった。

わきあいあいとした楽しいテニス部でしたが、どっちか1つに絞ったほうがいいとテニス部の顧問の先生からのアドバイスもありテニス部を辞め、スノーボード一本で行くことに決めた。

スキー部の顧問の先生は、ぼくが中学のときにスノーボードを譲ってくれた先生。

その頃の部員数は確か6人でほとんどが初心者だった。

放課後、先生の自家用車で片道1時間ほどかけて練習に適した大きめのスキー場まで送ってもらい、毎日練習した。

みんな、どんどん成長して小さな大会に出るようになレベルになってきた。

高校3年のとき、当時、まだスノーボード部が珍しいころ。

テレビの取材とかも何度か来ていた。

ぼくはインタビューのときに緊張しまくっていて、何を言っているのかよくわかんなくなっていたが、面白い経験ではあった。

確か、ぼくのインタビューのところは放送で使われていなかったので一安心した記憶がある。

それから全道からアルペンスノーボードを本気でやりたい人が集まってきて、すでに大会で上位に食い込んでくる高校生が入学・転入してくるようになり、とんでもなくハイレベルな集団ができあがった。

さらに先生がすごいと思ったのは、大型免許をとってマイクロバスを購入して部員の増員に対応するところがすげーと思った。

部活の練習もあって普段の保健体育の授業もやってどこに大型免許取りに行く時間があったのか不思議。

それから普段の練習や全国各地の遠征でそのバスで行っていた。

バスのキャラクター「白」

この環境が最高すぎる!

普段の練習では、アルペンスノーボードの日本ナショナルチームと合同練習するなど、ジュニア選手としては最高の環境だった。

町からも援助を受けるほど応援されていた。

とにかく練習の毎日で、日曜と正月以外は全て練習に時間を使った。

高校三年のときには全国大会まで出場するレベルまで上がっていた。

スポーツはお金がかかる

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ぼくがやっていたのはアルペンの方ですけどね。

スポーツは何かとお金がかかる。

まずはボードや靴、ウエアやスーツ、ゴーグル、アルペンなのでプロテクターやヘルメットも必要になってくる。

それから、リフトのシーズン券。さらに大会出場のための参加料、交通費やホテル代。

何かとお金がかかる。

一番残念だったのは、南米のチリへの海外遠征を諦めてしまったのが今考えてももったいないことをした。

この遠征の話は町からも援助があって格安でだったが、それでも一ヶ月の滞在で何十万もかかると聞いて、諦めてしまった。

お金のことがネックになってブレーキをかけてしまった。これ以上親にお金を出してもらうのに気が引けたからだ。

今考えると、親に借金してでも行くべきだったと後悔。

スノーボーダーとしてのビジョンが無いのが問題

そもそも、スノーボーダーとしてどうなりたいのか?ビジョンが全く明確に無かったことが、この残念な選択に繋がってしまった。

プロのスノーボーダーになるという憧れすらいだこうとしなかった。

どうせ、自分には縁がない話だろうと、、、

当時、18歳だったらその気になれば環境も最高だし十分にやれる状況だった。

高校三年の時にスノーボード歴3年ほどで全校大会まで出場するレベルとかってなかなか凄い。

しかし、自分は無知すぎるのと、何かと自分に自信を持てずにいた。

いきなりプロは無理だったとしても、どこかの会社に入社してスノーボードを続ける。という選択もあったかもしれない。

今だったらスノーボードがめちゃめちゃうまい会社員としてYouTubeとかやったり、コミュニティービジネスなども考えられるが、当時はネットも繋げていなかった。

色々な可能性があって、選択できる環境にあったにもかかわらず、無知すぎて選択網がたくさんあることに気づけなかった。

相談できる人がいなかったのも問題だった。

最高の環境にいながら、その最高の環境を活かせなかったのがとても残念。

今までの経験からから学ぶべきこと

紆余曲折あって、かなり遠回りをしたけど、今は音楽家として生活をしている。

今の自分の環境に感謝をして、自分に自信をもってやっていく。

困ったことがあったら周りに謙虚に話を聞く。

これらはとっても大事なこと。

音楽家として活動できるようになってきたのも、たくさんの人のおかげで今がある。

相談にのります

今回は、音楽のこと一切話していませんが、音楽のことだったり、人生のことだったり、

それなりに経験してきたので、もしかしたら誰かの役に立つようなアイディアを提供できるかもしれません。

ぼくで良かったら相談にのりますので、メールやツイッターなど何でも良いので連絡ください!

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